昭和54年01月14日 朝の御理解



 御理解 第72節
 「人間を軽う見な。軽う見たらおかげはなし。」

 人間を軽く見らんですむと言うことは根本的なところが分からなければできん。人間はみな神の氏子と言われる神の氏子としての見解というかね、そこには、その、人間の姿形じゃなくて、神性、神の性そのままを見る事になりますから、尊重、人間尊重と言う事になるわけ。ですから根本的な事を分からなければならないために、まず、私自身が神の氏子の自覚が出来なければならない。
 本当に私自身が神の氏子としての自覚ができるところにまた、人もまた神と言うことにそれがはっきり分かってくる。実感として。ここではっきり、おかげはなしと断言しておられますね。人間を軽くみたらおかげはなしと。勿論本当のおかげでしょう。それは普通ただ、お願いをする、おかげを頂く。はあ、病気が治った、願いがかなうたと言った様なおかげはあるでしょうけれども、これはぎりぎりのおかげですね。
 例えば、我神の子としての自覚が出来て、いよいよこの神の子であるところのその神性をいよいよ神性たらしめる、より生神たらしめるというそういう自覚ができ、それから発心されたもの。私は昨日十三日会で、あの百何十名の方達が一人一人、もう一分ずつでしたけれども、発表されましたその内容のまあ充実しておったのにも、ただ有り難いと思わせて頂きました。
 昨日は久留米市長の奥様がちょっと遅くにお参りしてみえておられた。帰りここでお届けしていかれるのにも、今日ばっかりは合楽の信心の尊い事が分かりましたち。皆さんの発表を時々、頂いた事がございますけれども、あれだけのしかもあの、若い青年の方もお年寄り、八十にもなられるおばあさん達の発表を聞いておって、本当に合楽の信心の素晴らしさを改めて分からせて頂きましたち言うておりましたが、私も本当に、そのようなものを感じました。
 神様の願いが合楽の一人一人に懸けられておるというものを感じました。その中でも私は今日の御理解を頂いて、昨日のちょっと話した事でしたけども、中村徹美先生が簡単な発表をしておりました。その発表の中に、神様がおかげを下さろうとしておるとこういうのですよね。だから私もそのおかげを頂きたいと思うとこういうのです。ね。例えば神様がおかげを下さろうとしておるというおかげはどういうおかげだろう。
 ただ、自分が願っておる商売が繁盛いたしますように、健康になりますように、そんなもんじゃないですよね。昨日徹美先生が言おうとしておるところは。神様が、私中村徹美に下さろうとしておると、それに気付いたときに、頂かずにはおかんというその一心発起が出来、今私が思うこと感じることというて話してましたね。今私が思うておること、もうそれはね、神様がおかげを下さろうとしておる、そのおかげを頂かずにはという、一心発起なのです。
 だから私がお願いをしておるこの事やらあのことやら、どうぞ息子の試験が出来ますようにと言った様なこっちゃないのです。神様がいよいよおかげを下さろうとしてある。初めていうならば我神の子の自覚ができて、いよいよ生神を目指すより以外はないと例えば内容にはそういうのがあって、私はあの言葉であったと思うのです。ね。そこにですいうならば、いよいよ初めて我神の子氏子であるという自覚が出来る。ね。
 だからね、今日の御理解、人間を尊重するようになったらおかげがあるという事がいえるのじゃないですか。人間を軽くみたらおかげはない。どういう人であっても神の神性が宿ってござる。それこそ柿の種には柿の芽あり人間の心には神のいうなら、性があり芽がもうちゃんとこれにあるのだと。そこを見る時に例えば形やら風体やらで、人間を右左したりまたは、軽うみたりしてはないらない。それにはね、まず、自分自身が神の自覚に立たなければ分からない。
 我神の子の自覚であるという自覚に立たせてもらうところから、人もまた、神の氏子であるという自覚に、そこに其の人の神性をいうならば見ることが出来る。そこに、神の子としての取り扱い、氏子としての見方が出来るときに、軽う見るだんではない、その神性を拝みたいものが生まれてくる。そこに至るときに、今度はおかげがあると断言出来るじゃないでしょうか。人間を軽くみたらおかげはなし。だから人間をいよいよ神の子としての見方が出来るようになったらおかげがあると。
 徹美先生の昨日の発表はそこんところを私は感じておる。ね。もうこの信心で行く以外にはない。神の性というものをいよいよ神の性足らしめる修行に取り組む以外にない。神様がおかげを下さろうとするおかげとは、そのことなんだ。だからそのおかげを我頂かずにはおかんと今私は今そのことを感じて、今私感じておることはそれだとこういっておる。一心発起が出来て、初めてそのことが私は言えるのだと思うのです。
 昨日私は皆さんの発表を聞かせて頂いて、言葉で助かるという意味の事を申しますね、キリストがそういう意味のことを言っておられるそうですね。だから言葉その一言が生きて折らなければならないという事。ね、例えばあの、殆どが私があの何十年で皆さんに聞いて頂いた、ご理解の要約とか、御理解があの、みんなの福引の引き札になっております、いわゆる御理解でした。
 ですから其の時其の時に、神の叡智を持って頂いたその御教えがあれほどしに其の人の心の中に、芯からありがたいと言ったようなものを感じさせるんだと昨日改めて思ったのですけれどもね。福引を引かれた、其の時にその一言の言葉がそれこそ心の中に、神の声として響いてきた。だからそれに今年は、取り組む姿勢といったようなものが、殆どでありましたが、昨日私は久留米の佐田さんの発表を聞かせていただいておって、その前日がおばあちゃんの帰幽日でしたんです。
 お立ち日ですよね。それで朝あのいろいろ、あの、お供えなんか準備して見えて、そして玉串あげて、帰られたのですけれども、私はお食事の時に、これは佐田さんところの、御霊様のお下がりですよと、言うてからもってきましたが、沢山の御ご馳走いろいろ作ってきてあるとです。あら佐田さん達は、今日は御祈念くらいしてもろうてから、調子よか、ここで御直会頂こうと思うたっちゃなかじゃろうかと、私は言うたくらいに沢山いろいろしておりました。
 その例えば帰幽日だからというておろそかにせず、しかもこれは、前の晩から準備をされただろう、これは今朝から作ってきなさっただろうというその、何かその一つ一つに思いが込められておるのですよ。そして其の中に、あの昨日佐田さんが言っておられたのが、福徳長という事にこう色々話しておられましたが、私もね、そのことを感じさせて頂いたら、福徳長という酒は福という字と長という字が大きく書いてあってね、徳と言う字を小さく書いてあるです。
 あの商標がね、福徳長とは、徳という字が小さく書いちゃる。そして福と長という字を大きく書いちゃる。それを私が頂くその福徳長は、徳という字を大きく書いて、福という字と長の字は小さく書いてあるところを頂いた。ははあ、これはもう実際これは、お徳を受けるという事の実感ですかね、あの、信心が真にならなければおかげにならんという事を実感しておらなければ出来ることじゃないでしょうが。
 もう今日は誰だんの立ち日じゃけんで、ちょっと、お神酒一本をお供えしてから玉串一つもあげさせて頂こう、それだって思いを込めればいいのですよ。また出来る出来ないという人もありますよ。けれどもその、一つ一つの中にそういう思いが込められるということはね、これは、人情じゃ出来んです。もう神様が分かり、お徳を受けなければ、人間はお徳を受けなければね、あのことはできやせんです。ね。
 これはもう本当信心させて頂く、真一つで仰るから、其の真というものを本当に木の葉一枚の上にでも真は込められるし、また、そうなさせて頂くということの中にも一つ一つの中に思いがこめられる。 ちょうど其の日、井上あの、勝美さんいわゆる、井上太郎先生のお母さんですたい。今日はあの佐賀のおばあちゃんが、こういう着物着てこんな帯を締めてここに座っておられるのを頂いた。今日はあちらのおばあちゃんの帰幽日だったか、それも全然知らずにその頂いておられた。
 だからあちらも今度、御霊のお祭が明日か今日かありますもん。だから御霊の働きというものは真心さえ込めりゃこういう働きというものが起こってくるということを、佐田さん所とあんたの所ち、関係があるわけじゃないけれども、今日の佐田さんの御霊様お祭というものをです、あの一つの見習うて、神習うてそういうあのおかげを頂けという事じゃろうのと、私は今日あの佐田さんにはお話しなかったけれども。
 福徳長の徳の字の大きいのを頂いて、福と長が小さい、徳が中心になるものじゃなければならないよと、あの、これは徳を受けなければ人間は幸せになれない、本当に神様の生きた働きを知らなければこんな事は出来ない。おぼろげとか漠然とではなかなか出来るこっちゃない。そこで初めて御霊様を尊重するということになったわけです。私は、今日は、人間の尊重という事はまず、自分自身の尊重、自分、我生神の自覚、と言うものが出来て、しかもそれはね。
 神様がね下さろうとしておるおかげを受け止めずにはおかんという一心発起の働きの中からです、自分人、皆神の氏子としての見方が出来るというようにです、いうなら姿には見えんけれども、御霊の世界にある、ご先祖の御霊様でもいかに尊重しなければならないか、ね、そういう目に見えないものを尊重するというところにです、いよいよ徳が大きくなるというものを感じました。
 人間を軽うみるな、軽うみたならおかげはなし。断言しておられるのですから、それを反対に尊重するという事になればおかげになる。それは人だけではありません。物でも事柄でも尊重する。全てのことに例えば御の字をつけるという事もそういう事。ね。まして人間を尊重する頂き方、ご先祖を尊重する頂きかたという事になれば、おかげになる、いやお徳になるという事がいえますですね。
   どうぞ。